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2008年10月12日 (日)

おやじの口ぐせ

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「ケンはええ!」

座敷に座っていたオヤジが、突然、唸りながら呟いた。
当時 広井家では、ケンというチワワを飼っていたので、てっきり愛犬の話かと思ったのだが、
耳を澄ましていると
「ケンはええ。健さんは男やと思う!」

・・・実は 高倉 健の話であったわけで、
広井のオヤジの話は、いつも、こうやって、唐突に始まる。

とにかく、無類の世話好きで(半端じゃない)、そして、振舞い好き。
私もいつも 相撲の力士並みのご馳走をたらふくいただいたものだ。

例えば、知り合いの息子が 東京に受験となる。
すると、その親に代わって、自分が一緒に、付き添いで石川から上京する。
オレは、その際も呼び出され、
オレにとっては、真っ赤っ赤の、赤の他人の「その息子」の受験に付き合わされるのだ。
三月の受験時。東京は雪。そんな中、オヤジと二人で酒を飲みながら待っている訳っス。

「オレ 何のためにここにいるんだろう?」
・・・と思いながら、それでも、結構楽しかったのは、やっぱり、オヤジと一緒だったからだと思う。

オフクロさん、つまり、カミサンのオッカサンから聞いた話だが、
オヤジは、昔から 人に尽くしては裏切られ、それでも又 尽くす。 懲りない。
そんなことの繰り返しだったらしい。
が、そんなオヤジの口癖。
「人にしてやったと思うな。そう思うから腹が立つ。皆、自分のためだと思えばいい」
情けは人の為ならず・・・。
まさに、その人生哲学を地で生きている人だった。
(幸か不幸か、娘・・・つまり、オレのカミサンは、まさに、このオヤジの血を引き継いでいると思う。血は、怖い(汗))

とにかく、いろんな経験が豊富だったのと、人間ウォッチングが天才的だったので、
話には説得力があった。
競馬でも パドックでの洞察力が抜群で、勝率も高かった・・・という。
(競艇の勝率は、カミサンの方が上だったらしいが・・・(汗))

それから、天邪鬼な一面もあり、
富山県の高岡市で 私の作った歌が「市制100周年」の応募で本選に残り
最終審査の為、現地でのコンテストに出たことがあったのだが・・・
(石川と富山は隣県です)
「ワシは行かん!」
・・・と言っていたのに、気がつくとちゃんと来ている訳ですよ。
娘、つまりカミサンの大学の卒業式も、出ないと言っていたのに(何しろ、留年、二年ですから。苦笑)
ところが、ちゃんと来ていて、しかも、講堂の二階席から、
「おーーーい! おねえちゃーーーん!」と手を振ったらしい。
聞けば、飛行機も列車もなくて、貨物列車に飛び乗ったのだという。
その車両は、牛ばっかりだったらしいが・・・(汗)

話がそれたけど、高岡市でのあの時は、オヤジの前で歌い、オレら夫婦で(作詞・作曲の)銀賞をいただきました。
まあ レコード大賞ならともかく、ささやかな賞ですが 親孝行のかけらくらいは
果たせたかな?

アメリカでは、このオヤジ、
笑ってしまうが、一日にして、ホームシック!!(これ、ホント(笑))
が、続いて、サンフランシスコ・ロサンゼルス・グランドキャニオン・ラスベガスと
旅する間に、団体バスを仕切るほどの絶好調ぶりも発揮しました。
駐車場に着くと、真っ先に外に飛び降りて、「オーライ! オーライ!」と身振り手振りでやるんだから。
その時撮ったビデオには、後日 BGMを付けましたが、主演男優は、完全にオヤジでしたね(苦笑)

実を言いますと、オレ、20才で免許を取ったのだけど、生来のオッチョコチョイが災いして、何と35才まで “ペーパー・ドライバー”だったんです。
それを見かねて 「ペーパー・ドライバー・スクールに通え」・・・と、金を出してくれました。
そのときのセリフ。
「男は運転ぐらい出来んとな。ましてや、お姉ちゃん(カミサン)のことだ。何につけ、運転が出来んことを持ち出しては、コケにされるぞ」
(娘の性格をホントに、よく知っていた・・・)

そして、すぐに石川で車を買ってくれ、さらにさらに、その新車で上京して、
つまり、持って来てくれたんです。・・・オヤジは。

オヤジが死ぬ一週間前、病床のオヤジを 石川に見舞いに行ったら
「おー 青二才 来たか!!」
・・・その青二才というセリフは 今でも私の心の宝です。

死んだと聞かされ、後日、葬儀に向かった東名高速の車中では、
(カミサンはすでに、帰っていたので、オレ一人と、愛犬のすみれ子だけ)
いやぁ~。泣きましたよ。
もう それこそ号泣!!
富士山のてっぺんまで聞こえそうなくらい・・・

息子として、受けた恩義を返せなかった悔しさで、胸が張り裂けそうでした。
運転しながら、声をあげて泣いて、涙で、前方が見えなくて困ったけど・・・・。

―――そして、あれから十数年、私は 未だに未完成の“青二才”である・・・


PS オヤジへの鎮魂歌として 作った歌があります。

「おやじの口ぐせ」     作詞 作曲 広井 顕真

※どうしようもなく せつなさが 押し寄せる夜は
思い出すのさ おやじの口ぐせ

「人のために生きろ 泣き言を言うな」

ああ いさぎよく生きたい
桜の花のように 生き抜いた
強い おやじのように

※暗い海に向かい やるせなさ 叫びたい夜は
心に浮かべる おやじの口ぐせ

「人のために生きろ 裏切りを恐れるな」

ああ たくましくありたい
砕ける波の如く 生き抜いた
強い おやじのように

ああ 風雪に耐え抜く
秋田杉のように 生き抜いた
強い おやじのように

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2008年10月 6日 (月)

永遠のオヤジ

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新総理の麻生氏は あの吉田茂の孫だそうである。
何を隠そう 私の本名 茂は、当時総理だった吉田さんからいただいた。
(いや 何、いただいたというのは ちょっと語弊がありますが・・・)
きっと両親が、将来は総理大臣のようにと願ったか、
単に安直に、その名前がそこにあったから、
「まあこれでエエか」と決めたと想像されます。

それはともかく 麻生氏を見ていると、思い出すんです。
誰を?
いや カミサンの父 名前、一二三(ひふみ)です。
何故?
いや 何となく、顔というか雰囲気というか 言動も似ているんですよ。

初めて一二三さんに会ったというか、会うことになったのは、ドラマでよくある
「娘さんを僕に下さい」っていうアレですけど、実際はそんな照れくさいセリフ
俳優じゃないんだから 言えるわきゃないですよね・・・
誰か 言った人いますか?

まあ 彼女から、いろいろ聞かされていたし、写真で見ていたし、
それなりに覚悟はしていたけど(・・・反対されるとか・・・これも歌にありますね)
自分自身は、結構落ち着いていたと思う。

詳しいことは よく覚えてないけど、
彼女からもらった、「オヤジを説得するツボ」なる指示は、ほとんど必要なかった。

30分和室で待たされ(これが異様に長いのなんの・・・ドキドキですよ)
でも現れて3分もしたら ビールが出てきて、それでもう「よろしく頼む」という事になった。
当時 私は、プー太郎のようなもので、自分でも向こう見ずだったという思いは、今でも
拭えないが たった数分で将来の家族と認めてくれた温情を、私は今でも感謝している。

それから10年・・・
我々の結婚式の丁度10年後のその日。
皮肉にも、オヤジの葬式だった。
今 考えると短すぎた10年間だったけど、本当にいろんなことがあった、密度の濃い
年月だったと思う。
とにかく 盆と正月。それ以外にも、事あるたびに何回・何十回会ったし、
アメリカにも同行したくらいである。

一二三さんとの逸話は、とてもこのスペースには書ききれない。
一言で言うと、我々は ウマが合った。
価値観というか、物の考え方が似ている部分が多く、
おしゃべりなくせに、言ってはいけないこともよくわかっていたし、
男同士の、あうんの呼吸・・・みたいなものがあった気がする。
早い話、変人同士(?)だったせいかも。

父として 2人の娘をこよなく愛し、将来のこともしっかり考えていた人だった。
そして 趣味もまた、人一倍多かった人だった。
アテム号という シェパードを、日本一の警察犬に育て上げ、
競馬、競艇、狩猟、高校野球、映画、スキー。
(スキーは、正真正銘、プロだった。昔の国鉄専属)
・・・
酒も煙草も底なしで、石川にいくと 朝からビール、日本酒、時にはブランデーを飲まされる(苦笑)

話は だいたい妻・娘の話題。
それに、なんといっても、政治の話が好きだった。
「政治家になればいいのに」と思ったことくらいである。

三船敏郎や高倉健のような男っぽい俳優が好きで、歌は北島三郎・・・
「兄弟仁義」「歩」が好きだったけど、オンチでしたね。(笑)
女優では、高峰秀子とイングリット・バーグマン。
そんな義父は、結婚式で 音程をはずし歌えなくなった娘に
(そうなんです。彼女、新婦なのに 歌を歌ったんですよ・・・)

「お母ちゃんに似て オンチだって 認めてもらいなさい
お父ちゃんに似れば よかったのに・・・」という有名なセリフを吐きました。

・・・あのね アンタに似たからなんじゃないの????

オヤジのことを書いたら キリがなく、霧が峰を思い出しました。
(警察犬の競技会を行うのが、長野の「霧が峰」なんですけど・・・)
また 続編を書きますので、ひとまずこれにて失礼!!


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