心の義援歌 「がんばれ!!」Vol 2
神戸の放送局で「がんばれ!!」が流れてから、何人かの方から電話をいただきました。
実際に、西宮の自宅で震災を体験されたという、大阪博報堂のYさんからの、「被災地で歌ってみては」・・・という提案は予想外でしたが、多少のとまどいはあったにせよ、決断まで時間はかかりませんでした。
仕事の都合もあり、被災地に伺ったのは確か ゴールデン・ウイークの頃。
もう震災から3ヶ月以上たっており、報道も途絶えがちになっていましたが、この眼で目の当たりにした傷跡は、想像以上でした。
Yさんとは挨拶もそこそこ・・・
その日のうちに、大阪・新神戸などのイベントに参加。
そして神戸の街を、西から東へ移動中の風景・・・
六甲の山沿いに広がる街は、青いカバーにほとんどが覆われていましたし、駅からホテルへの道、建物は瓦礫と傾いたビルだらけ。
翌日から、ギターを片手にYさんと、最も被害の大きかった長田地区の避難所を訪れました。
音響設備も持たず、本当にギターと歌だけの旅となりました。
2,3日の滞在でしたが、自分自身 得難い体験をさせていただきました。
「がんばれ!!」を、本当に気に入って下さり、褒めちぎっていただいた 故大田氏。
小学校で歌い終わった後、「あんた コーヒーでも飲んでいって」
・・・とわざわざ追いかけて来てくれた お好み焼き屋のおばさん。
そして何よりも、焼け野原を一緒に歩き回り、歌う場所を作っていただいたYさん。
私のような、名もなき歌手 売れない作曲家の歌を聴いていただいた皆様。
結論を言わせていただくなら、
(心の義援歌と偉そうに名づけてしまいましたが・・・)
私の歌で、人々の心を少しでも癒せたとはさらさら思いませんが、「歌には そういう不思議な力が確かにある」
・・・そんなことを感じた日々でした。
また、実を云うと 当時の私の心 我が家はある理由で倒壊寸前で・・・
「がんばれ!!」は、そんな自分自身に呼びかけた“心の義援歌”だったのかも知れません。
神戸には 数年後、またYさんのお招きで2回ほど訪れております。
5年後の復興イベント、淡路花博には、幸地愛子さんとご一緒。
ちなみに、1999年に幸地愛子版「がんばれ!!」のCD化ということもありました。
今思うと、あの時の体験が 歌の宅配便の原点となっているのは間違いないでしょう。
あれから12年 震災で叩きのめされた麗しい街は、見事な復活を遂げた
・・・しかし、傷ついた心を癒すには、永遠という時間が必要なのかも知れない。
We love KOBE
作詞 広井 顕真
ラララ ラ・・・KOBE
ラララ ラ・・・We love KOBE
青い空 緑の山 麗し街 神戸
坂道を登れば はるかに港の船
あなたとめぐり会えた 思い出 今も胸に
やすらぎ色の 風が吹く街角
What a wonderful dream of KOBE city
生きる喜び 人の優しさ 教えてくれた
What a wonderful dream of KOBE city
この街が この街が この街が愛しい
黄昏せまれば またたく街の灯よ
生まれた夢の数だけ きらめく愛がある
傷ついた心 癒すような星空
What a beautiful dream of KOBE city
たとえ命に 限りはあれど 希望の灯りは
What a beautiful dream of KOBE city
永遠に 永遠に 永遠に消えない
ラララ ラ・・・KOBE
ラララ ラ・・・We love KOBE
風そよぎ 水は清き 麗し街 神戸
果てしない 未来を歌え 麗し街 神戸






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